気分安定薬
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双極性障害の躁期に用いられる薬の日本における古い分類についてはについては「抗躁薬」をご覧ください。

この項目では、双極性障害の治療用途について説明しています。てんかん痙攣に対する作用については「抗てんかん薬」をご覧ください。

気分安定薬(きぶんあんていやく、mood stabilizer)は、激しい持続的な気分の変化を特徴とする気分障害、典型的には双極性障害の治療に用いられる精神科の薬である。ムードスタビライザーとも呼ばれる。

抗躁薬は、日本において抗精神病薬と抗躁薬にしか薬の分類が発達していなかった時代の名残で、一般に気分安定薬の語が用いられる[1]

英国国立医療技術評価機構(NICE)の2006年の臨床ガイドラインでは、気分安定薬の語には合意された定義がないため用いられない[2]

#有効性節で示されるように、薬の有効性が示されているといっても効果は限定的である。診療ガイドラインで最も推奨されているリチウム[3]について、2009年にもアメリカ国立精神衛生研究所所長のトーマス・インセルは「双極性障害は特に課題である。リチウムに反応する患者はわずかで、非常に多くの人にとって気分の変動を制御する薬が存在しない[4]」と述べているとおりである。

薬は、日本の添付文書においてもいくつかの注意警告がある。まず、リチウムを除き、自殺関連の既往歴がある場合には、それを悪化させる可能性があるため慎重投与する旨が記載されている。次に、リチウムや抗てんかん薬では血中濃度が中毒域に達したり重篤な皮膚症状が生じる可能性、もしくは抗精神病薬による代謝異常の監視、またすべてにおいて内臓の障害の可能性が指摘されているため、適切な監視と投薬中止に関する旨が記載されている。また、相互作用で作用が増減される旨が記載されている。

つまり、特別な注意が必要で、有効性が限られている薬である。有効だという根拠は多くの場合、日本のうつ病学会によるガイドラインによれば、リチウム、抗てんかん薬、抗精神病薬のうち1剤によるものである[5]。投薬は、危険性/利益の比率に基づいて考慮する必要があるが[6]、日本のうつ病学会によるガイドラインは、2剤併用時の有効性についての少ない証拠も提示しているが、副作用発現率にまでは触れていない[5]

こういった基本事項を理解せず、どんどん薬を増やす医師が存在するため注意喚起がなされている。日本の精神科医は薬理学を不得意とすることが多いことが指摘されている[1][7]。2010年にも、精神科領域の4学会が、向精神薬全般の不適切な多剤大量処方に対して注意喚起を行った[8]。そのうえで、2012年にはリチウムでは過半数で適切な監視がなされていないことや[9]、添付文書に記載された用量を超えての投薬によって起きやすい重篤な皮膚症状の症例が減少しないため[10]、医薬品医療機器総合機構による注意喚起がなされている。個々の薬剤の用量が規定の用量であっても、多剤投与であれば、薬剤間相互作用により血中濃度が増加する。薬剤間相互作用についても、添付文書に記載されている。
歴史

リチウムは、1817年に、スウェーデンの化学者、ヨアン・オーガスト・アルフェドソンがスウェーデン沖合のペタル石からアルカリ金属を分離し、ギリシャ語の石(lithos)からlithiumを命名し、アルカリ性物質が痛風を治療するといった一連の医学的研究がなされた[11]。うつ病(Depression)という語を医学的疾患名としてはじめて用いたランゲが、抑うつの患者にリチウムを試し、1881年には有効性を報告した[11]。1949年にはオーストラリアのジョン・ケイドが医学誌において、躁病3名、統合失調感情障害7名にリチウムの症状を消失させたことを報告した[12]

1961年に、ガイギー社にての染料のイミノベンジル系のサマーブルーから、新しい三環系の化合物のジベンザゼピン系の一群が合成され、そのうちのG-32283が後のカルバマゼピンとなる[13]

フェノチアジンは、殺菌剤や精神科治療薬の基礎となる構造を持つ。

カルバマゼピン

オクスカルバゼピン

初の三環系抗うつ薬のイミプラミン。イミノベンジルからカルバマゼピン以外に派生した物質の一例である[13]

1962年にバルプロ酸の抗痙攣作用が報告され、 バルプロ酸ナトリウムが合成された[14]ベンゾジアゼピン系と同じくGABA受容体に作用すると考えられ、似たような特性を持つ物質の一群が合成され、ガバペンチンが市場に出ることになる[14]

1987年と1991年にアボット・ラボラトリーズ社が、ナトリウムイオンが1つ増えただけのバルプロ酸セミナトリウムの特許を申請した[14]。1991年に躁病に対する有効性が示され[15]、1995年2月6日にアメリカ食品医薬品局(FDA)の認可が下り、デパコートとして市場に出た。予防効果は示されていないが、アボット社は気分安定薬という言葉を広告に用い[16]、論文における気分安定薬の語の使用が1995年から急増した[17]。そして、再発が起こるたびに、再発しやすくなるという誤った喧伝が繰り返された[18]。しかしながら、躁とうつの間隔が短くなるような傾向はもともと見られない[19]

このような喧伝の背景にあるのは、ロバート・ポスト[誰?]よる、てんかん発作に対する抗てんかん薬のキンドリング神話であり、徐々に刺激に対して敏感になっていく感作の理論を広げて、てんかん発作が感作によって起こりやすくなり、抗てんかん薬は感作の傾向を消化(クエンチ)するのではないかという仮説である[18]。1500人以上の5年間の大規模なランダム化比較試験で、抗てんかん薬が後の痙攣を抑制しないことが実証されており[20]、キンドリング神話はすでに崩壊しているとされる[18]

1993年代後半には、ガバベンチンの売り上げ13億ドルのうち、10億ドルが適応外用途からであったが、ランダム化比較試験により、気分安定化作用はわずかだと示され[21]、訴訟が起きた。ほかの抗てんかん薬、ビバガトリン、チアガビン、トピラマートでも有効性に疑問があることが明らかになった[22]

2003年から2004年にかけて、グラクソ・スミスクライン社が抗うつ薬パキシルが子供で自殺リスクを高めるという研究を隠ぺいしていたことが話題になると、双極性障害の喧伝に切り替わっていった[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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